喉が痛い

父親から連絡があった。

 

私の希望で、連絡は叔父を経由してくる。これまた私の希望で、感情論抜きで要件だけ送ってこいと伝えてある。そうしたら年に1回ほどにしか連絡がこなくなった。

 

今回の要件は二点、送金したいが口座は変わっていないか、楽器を習うので私の使っていた楽器がどこにあるか教えてほしい、ということだった。

 

この連絡を見たとき、うーん困ったなあと思った。なぜならば私は、この楽器を紛失している。

 

どうやって紛失したかはまったく覚えていないのだが、習い事の最終日にバスに置いてきたという説が有力候補だ。しかし、なくしたことに気づいたときには数ヶ月は余裕で経っていたので、警察やバス会社に連絡を取るということもしなかった。なので行方不明のままだ。

 

いつもなら送金したいという言葉にたいして、口座変わっていません!ありがとう!と意気揚々と返信するのだが、する気になれなかった。

 

楽器が部屋のどこにもないと気づいたら、きっと父親は怒りを示すと思うし、私に再度連絡をしてくる可能性もある。そのことを想像したら、心がザワザワした。

 

送金については、大人だからいらないよ、ありがとう。楽器については、覚えていません、好きに探してもらって大丈夫です。と返信した。自分でもびっくりするぐらい、心が擦り減った。

 

父親とは三年も顔を合わせていないし、今後も合わせるつもりはない。けれど父親のもとで育った苦しい十数年間のことを考えたら、受け取っていいだろうと思って、たまに発生する送金は受け取り続けてきた。自分の中で割り切れていると思っていた。

 

あるはずの楽器がなくても、それで父親が不快感を示してきたとしても、私には関係のない話なのに、どうか穏便にいくように願っている自分に絶望した。

 

私はまだ傷ついたままなんだと、父親が恐ろしいままなんだと、絶望した。

 

ぎゅうぎゅうの満員電車の中で涙がとまらなかった。感情が大きく動いても涙が出ないようになってきたのにこんなときには出てくるのだなと悲しくなった。

 

家に帰ってきた瞬間に真っ黒な廊下に倒れこんで大声で泣き叫んだ。叫んでも叫んでも、叫びたい衝動が抑えられない。実家にいた頃の苦しかった日を思い出す。

 

はやく死にたい、はやく楽になりたいしか考えられなくなる。

死んでしまいそう

死にたくないのに「このままだと死にそうだな」と頭の中がぐるぐるする。朝起きたベッドの上で、バスの中で、スタバでホワイトモカを飲みながら、死にそうな自分がいる。

 

生活習慣が最悪だからいつか心筋梗塞でも起こすんじゃなかとか、誰かに殺害予告をされているとかでもないのに漠然と死が近くにいる感覚がする。死にたくないので不安で怖くて泣いてしまう。

 

でも生きるのをやめたらきっと楽なんだろうなあとも思う。